おわらに恩返しがしたい。舘谷美里さんが語る「おわら風の盆」の魅力
八尾の下新町で生まれ育った舘谷さん。おわらとの関わりを大切にし続け、現在は富山市岩瀬の三味線屋さん「しゃみせん 楽家(らくや)」に勤めています。舘谷さんが語る意外なおわらの素顔とは?同級生でもある、熱血曳山男子の石田さんと一緒に話を伺いました。
【舘谷美里さんプロフィール】
下新町出身・在住の30代。三味線屋「しゃみせん 楽家」に勤める。
【越中八尾 おわら風の盆】
毎年9月1日〜3日に開催。哀愁を帯びた三味線と胡弓の音色、そして味わい深い唄に合わせて、笠で顔を隠した踊り子たちが情緒豊かに踊り歩きます。昔の面影を残すまち並みに数千のぼんぼりが立ち並ぶ風景は幻想的。3日間で約20万人もの観客が訪れる、全国屈指の行事です。

おわらは、いつもそばにある存在

───舘谷さんにとって「おわら風の盆」はどういう存在ですか?
舘谷:おわらは、常に生活の中にあるものなんです。もちろん行事は1年1回だけど、練習はほぼ毎週やってるし、常に近くにある存在という感じです。小さいときからやっていたおかげで、いろんな人との出会いや繋がりが生まれたし、見も知らぬ観光客の人が「今年もきたよ!」って言ってくれる。1つのものを通じて人と人とのつながりが繋がりが生まれる…特別な存在かなと思います。
───舘谷さんとおわらとの関わりはいつからですか?
舘谷:ものごころがついた時から踊っていたので、何歳からとかはわからないかな。踊り子は25歳までという制限はあるけど、下の年齢の子たちも少なかったので、28歳ぐらいまで踊っていました。そこから地方(じかた)、三味線に移行して今は三味線弾きです。
三味線を始めたのは中学校の頃で、八尾中学校に「趣味の時間」という部活とは別のクラブ活動があって、週に一度三味線を習っていました。三味線を選んだのは、元々父が三味線弾きで、手近な楽器だったので。
その後、八尾高校に進学して、郷土芸能部に入って三味線を弾いていました。私が入学したときは唄はやってなくてテープで流していたのですが、高校生しか出られない「高校生文化祭」に出たかったので、指導してくださる人を呼んで全部自分たちで演奏できるようにしました。茶道部の子にも兼部してもらったりして…。同級生のみんなのおかげですね。
───すごい熱意!お仕事も、「しゃみせん楽家」という三味線屋さんに勤めてらっしゃるんですよね。
舘谷:楽家は富山市の岩瀬にあるんですが、三味線の修理をしたり、八尾まで糸の配達をしたりしています。今の仕事に就いたのは、おわらも好きだし八尾のことも好きだから。おわらを通していろいろな人と出会ったり、県外にたくさん行ったりして恩恵を受けたという思いがあって…。(※イベント等に招待されて県外で踊る機会も多い)
八尾は人が少なかったり、ちょっと閉塞感があったりとかもするんですが……そんな面ばかりじゃなくて、八尾町が元気になったらいいなという思いがあって。何が恩返しになるかわからんけど、楽器を弾いてる人たちが多いから、楽器をより楽しんでもらえるようにサポートする仕事は、文化の継承のお手伝いができているのかなと思います。

もっと自由に、一緒におわらを楽しみたい

───今後、おわらや八尾町がこうなっていったらいいなという希望はありますか?
舘谷:石田くんは曳山に参加してくれる人が増えたらいいなと言っていましたが、私も同じ思いでいます。八尾に住んでないとできないとは思っていないです。おわらが好きで、町の人たちや歴史をリスペクトして、自分もやりたいという人に参加してもらえたら…。町の中だけでがんばることも必要だけど、外の人との交流もないと濁ってしまうと思うんです。外の人と、町の人たちとで交流していくことで、盛り上がりや広がりがあるんじゃないかな。祭りもそうだし、八尾の町も純粋に楽しんでいる人が増えたらいいですね。
好きな気持ちだけじゃ八尾に住むのは難しいと思うけど、練習にきてくれるのは大歓迎です。今も、住んでいないけど八尾高校を卒業した女の子が来てくれたり…。おわらがあるから引っ越してきてくれた方もいますしね。
石田:俺なんかは、住んどるから下手くそでもおわらに出れるって言われとるけどね…。
舘谷:私は、うまい下手で比べるものではないと思うよ。プロじゃないから、そういう基準を持ち出すとおかしくなると思う。うまい下手って誰が決めるんだろう?って思うし。
───おわらをやっている人は、技に誇りを持っているものだと思っていました。
石田:おわらの唄が、最近すごく民謡化してきているんです。おわらの歌い方って、都々逸とかにあったような遊びがあったんだけど、みんながカラオケとかに行くようになったら、音程が外れとる・外れてないがわかるようになってしまって。元々、すごく低い音から入る歌い手の人とかもいて、そういうのを聞くと「ああ~~おわらだな」という気がする。
舘谷:うん、今は型にはまっている感じがする。ひといきで、音程もリズムもテンポも狂わずに歌わないといけない、みたいな風潮があるんだけど、私はそれがすごく嫌で。誰がつくったかわからない基準が横行しているけど、そういうのじゃないと思う。行事なんだから。
───行事なんだからやることが大事…ですか?
舘谷:楽しくやることが大事ですね。真剣さを求める人はおるけど…。おわらは、美化しすぎて自分で自分の首をしめてしまった感じがする。「日々の鍛錬で積み重ねてきた熟練のナントカ…」みたいなイメージがあるけど、おわらはそういうのじゃないです。私はプロも見ているけど、プロの世界は本当に実力勝負で生活に直結する。でも、求めるのはいいけど、楽しくなくなるから大変だよー。
石田:真面目に真剣に楽しく遊ぶ感じだね。曳山もそうだけど。曳山はヘラヘラしたら怪我するしね。自分の独自性を持ってずっと歌い続けた人は、その人の歌になるし。
舘谷:諏訪町の人で扇子を持ってフラフラしながら歌う人がいて、何を歌っとるんかわからんがだけど、それがよくて…。
石田:あれは、扇子を三味線のつもりで動かして、テンポとっとるらしいがね。実際の三味線の動きとは違うんだけど…。ああいうのは、おわらだなって感じがする。
舘谷:うん、もっともっと自由だったんだと思う。芸者さんの流行歌をくっつけてみたり、民謡をはさんでみたりとかして。川崎順次さんがきれいにしていったんだけど、順次さんも「もっと広がっていくべきもので、プロ化しちゃいけない」って言っていた。うまい下手を基準にしたり、お金をもらうようになっていくと、面白くなくなっていくと言っていたんですよね。
同級生である、曳山男子の石田さんとお祭りトーク
───厳しいと思っていたおわらの意外な一面を知ることができました!でもやはり生半可な気持ちでは参加できない気もします。もっと自由に楽しんでいけたらいいですね。どうもありがとうございました!
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