【移住者が語る八尾】名田谷さんの場合 おわらへの憧れと八尾っ子の育ち方

移住者の言葉から八尾の魅力を再発見するシリーズ(2)

───県内外から八尾に移住してきた4人の女性が、八尾の暮らしの魅力や聞きたいけどなかなか聞けない本当のところをざっくばらんに語るシリーズ。八尾に住んだきっかけやまちになじんでいったプロセスを振り返りながら、八尾の魅力を改めて再発見してみたいと思います。
【対談者】以下の4名の方々で話した内容を複数回に分けてご紹介いたします。
・玉生安津子さん(富山県氷見市出身/2000年に八尾に移住)
・吉田祐子さん(愛知県名古屋市出身/2016年に八尾に移住)
・名田谷さやかさん(東京都杉並区出身/2016年に八尾に移住)
・原井紗友里さん(富山県富山市出身/2016年に八尾に移住)
さやかさん製作のつまみ細工による髪飾り

八尾にきたきっかけ(名田谷さんの場合)

名田谷:生まれは東京です。両親も東京出身で杉並区の小学校から同級生で、富山に縁がある訳ではなかったのですが、学生の頃からなぜか「いずれは田舎に住みたい」と思っていたんです。高校生の時に出会ったある先生に「老後に何をしたいかで将来のことを決めなさい」と言われたことがずっと心に残っていて。
原井:めっちゃシティガールが田舎に憧れるって珍しいパターンですね!!
名田谷:小さい時から、しばしば長野に遊びに行くことがあったので、長野の専門学校で工芸を学ぶことにしました。勉強するうちにガラスに目覚めて、「ガラスと言えば富山だ!」と「富山ガラス造形研究所」へ入学しました。この研究所には、日本中・世界中から人が集まってきていました。吹きガラスや切子、キャスティングなどの技術を2年間学んだ後、研究所の隣にある「富山ガラス工房」で働いていた夫と結婚しました。
───ご主人は兵庫出身のガラス作家さん。富山とガラスが二人を結びつけたのですね。
名田谷:子どもが生まれて5歳になるくらいまでは、富山市五艘というまちなかあたりに住んでいました。でも、せっかく富山に定住するなら、どこか歴史のあるところがいいなぁと、八尾町の物件をインターネットで調べるところからはじめました。
原井:ご主人が率先して探されてたんですよね!?
名田谷:そうなんです。念願の諏訪町の物件がやっと見つかって、「よし!乗りこむぞ!」と意気込んで(笑)。 諏訪町おわら保存会の会長・山田誠さんを始め、八尾に長く住んでいる先輩移住者の知り合いがいたので、「私たちが引っ越してきても大丈夫でしょうか?」と事情を聴きに伺ったりしました。
───お二人とも県外から富山に来られて、さらに歴史ある町に住むとなると、確かに何か、地域独自の掟とかありそうで、緊張しますね…。
名田谷:山田さんは「子どももいて、まちを知ろうとするなら大丈夫」と言われたので、少し安心しました。2015年に家を買って、翌年に引っ越し。まず様子見で児童会に顔を出してみましたが、子どもたちは全然違和感なく、お神輿(子ども神輿)にも参加させてもらいました。
名田谷:下の子が2歳くらいの時で子育てしながらだったんですが、せっかく八尾に来たんだから楽器を習ってはどうかと提案してくれました。「子どもは誰が見るの!?」ってきいたら「見ててあげるよ」って言ってくれたので、「それならどんな楽器でも歌でも習いたいっ!!」と、やり始めたのが胡弓でした。習ってもう6年経ちますね。
吉田:おお!!その提案は神ですね、ご主人!
名田谷:夫は歌をやっています。
一同:へー!!(そのチャレンジ精神が素晴らしい、と感嘆して)
名田谷さやかさん

八尾に移住した人が持つ、おわらへの憧れ

原井:このなかでおわら(の楽器や歌などを)やっている人は、さやかさんだけですよね。本腰入れて習ったら、八尾の人にもっと近づけるのかな〜。いずれはやってみたいな〜と、憧れています。

──移住者がおわらに挑戦するなら、勢いで!

玉生:うちの子どもたちはもちろん、踊り手としておわらに参加していますが、私がおわらの世界にどっぷりと入る勇気は、今のところないですね…。周囲で20年以上見てきて、知ってしまった今は…逆に入りにくいですね。
名田谷:確かに、「楽器やりたい!」「おわらやりたい!」と、何も知らない段階で、勢いでやってしまうほうがいいのかもしれません。
一同:そうだよね、勢いだよね!?
名田谷:でも、おわら当日は本当に忙しいです。子ども二人の髪の毛を結って仕上げ、県外から泊まりに来たお客様をお迎えして…もう戦場みたいです(笑)。夫の友人・知人が、関西や東京から「おわらをこの目で一度見てみたい」と来られるんです。
原井:そもそも、ここ八尾の旧町で生まれ育った人は、26歳まで踊り手をやっていて、その後、三味線や胡弓、歌など、何かしらの音楽の道に進まれることが多いんです。
名田谷:移住してきた人は、まず踊ることができないから、楽器をやるために、メロディーを覚えるところから始めないといけません。そういう意味では、私のやっている胡弓は、一番県外の人向きかも知れません。 歌は、地域独特のイントネーションが難しいし、その歌に合わせて三味線があるので、歌を知っていないと三味線は弾けない。みんなで弾いているからズレるわけにいかないんです。でも、胡弓は三味線に合わせているので、まだ初心者向き…というか…。
原井:でも、胡弓っていちばん難しそうなイメージありません!? ひねって弾くし、三味線はたくさん人がいるから何か誤魔化せそうな気もするけれど、胡弓ってひとりで弾くじゃないですか。
玉生:そうそう、主役感がある!
名田谷:それもわからずに入ってしまったので(笑)…。「えっ!? 一人で弾くものなの!? …だったら三味線のほうがよかった…でも…もう戻れない」みたいな感じで始めてしまったので、今はやるしかないなと。
吉田:町を歩いていて、家から胡弓の音が聞こえるの、とってもいいですよね。私すごく好きです。家からその音が流れて来ると、うっとり聞き惚れてしまいます。
名田谷:知ってる方に聞かれると「あれ!? あそこ間違ってる!」って指摘されちゃいそうで、お恥ずかしながら、窓を閉めて、キコキコと練習しています(笑)。
原井さん。すでに八尾のDNAが刻まれつつあるお子さんとともに

──踊る、演奏する以外にも参加のしかたがある

玉生:そういえば、みなさんは、踊れます!?
原井:旧踊りと新踊りがあるんですが、旧踊り(豊年踊り)は一応、踊れますね。OYATSUのある上新町は輪踊りがあるので、地域の人たちと一緒に踊る機会があるんです。毎年、「観光客○年目くらいにはなったな、地元の中学生くらいには近づいたかもな」なんて言ってもらえるのは嬉しいものです。でも、生粋の八尾町民とは違う。私はそこがいいと思っています。数回、数年練習したからといって町の子みたいには踊れないからこそ、美しく感じます。
原井:娘がまだ1歳になったばかりだけど、近所のおじいちゃんおばあちゃんたちが教えてくれるから、「トトトノトン」がもうできるんです(笑)。「ヒイフノミ」はきらきらきら~て手を振って、「トトトノトン」は手を叩くというのを、1歳になる前から教えてもらっている姿を見て、心からいいな〜と思います。
玉生:私は踊れないんですけど、自分の子どもたちが踊っているのを見るのは格別です。「あの子、うちの子なんですっ!」みたいな、立って見ているだけなんですが、とても誇らしい瞬間です。
───なんか、ステージママみたいですね。
吉田:おわらの日は、本当に町全体がステージですもんね。普通の格好をしている私に、おわらをやっている夫や子どもたちが駆け寄ってくると、今まで普通にしてた観光客の方が「ほう、町の人だったのか!」って見直す感じも、何とも言えないものがあります(笑)。
───踊っている人、演奏している人たちだけじゃなくて、町に住んでいる人たちはみんな「見られる」という意識を持っているんですね。そういう人たちが住んでいる町だから、どこを切り取っても美しい町なんでしょうね。
玉生:八尾の子どもたちは、そうやって小さい時から「見られる意識」を育てていくんですよ。
吉田:最初は、練習に嫌々行っていた子どもたちも、前夜祭が始まって、観光客の人たちにバシャバシャ撮影されると、何だか背筋ものびちゃって。子ども心にも、単に「かわいいね~」ではなくて、大人たちが「ぽっ」と憧れを持って眺めているという雰囲気が伝わるんだと思います。

八尾の子どもたちの育ち方

吉田:おわらの練習に初めて子どもを連れて行った時、お姉ちゃんたちが自然に手をつないで輪の中に連れていってくれたのが印象的でした。
玉生:練習の時には、お兄ちゃんお姉ちゃんたちが、ちびっこの面倒をまとめて見るのが当たり前だから、大きい子の後を小さい子たちがカルガモ隊みたいに付いていく。
小さい子を抱っこしたりおんぶしたりして、上手に相手をしながら踊りを教えてくれるお兄ちゃんお姉ちゃんがいるのが、日常のなかに組み込まれているんです。こういう関係性が、おわら以外の様々なものにも、影響しているんだと思います。

──学年を越えて遊ぶのが普通

吉田:親どうしがわからなくても、子どもどうしで学年が違っても普通に遊んだりしゃべっていたりするんですよ。名古屋で育った私にはそういう経験はないですね。
原井:富山市で育った私の小学校でも、なかったですよ。
玉生:私の小学校は氷見市の海沿い。確かに子どもどうし学年を越えて話すことはあったけれど、八尾みたいにこんなに濃いつながりはなかったです。
名田谷:挨拶もすごくしますよね。
吉田:しますよね!! 中学生か高校生か、顔見知り出ない子が向こうの方から歩いてくると「…どうしようかな…すれ違うけど声掛けようかな…」と密かに緊張していると、向こうのほうから「こんにちは!」って声を掛けてくれるのが、すごくいいなと思います。
原井:とっても可愛いですよね!
吉田:そう、知らない子でもすごく可愛い。子どもたちが自然に話しかけてきますしね。こどもや(駄菓子屋)さんに行くと、「ねぇ、これ開けて」「ねぇ、これ買って」って話しかけられたりするし(笑)。
───子どもたちが、分け隔てなく仲良しで、大人にも臆せず話してくるんですね。
吉田:あとは、みんな公民館が大好き。
───!?
一同:ね~! 公民館っていいですよね~。
───公民館が!?
吉田:はい。「公民館に行く」って言ったら、子どもたちが「わーい!」って喜んで遊び場に行く感覚です。
名田谷:たしかに、私の地元にもコミュニティセンターみたいなのはあったけど、そんなに喜んで遊びに行くイメージではなかったですね。
玉生:コミュニケーションの取り方とか、遊び方が少し他の地域と違うのかもしれません。
吉田:子どもどうしでも、誰かにすっと頼ったり、頼られた方も自然に助けたりというような、人間どうしをなじませていくようなコミュニケーションがありますね。お互いをフラットに受け入れて遊んでいる。どこかで「まあいいか」って思いながら、みんなと一緒に成長していくんだろうなと思います。そういう関係が、おわらの練習や遊びを通じて、小さい頃から作られるんだと思います。
───それは、かけがえのない学びと成長の場ですね…。
吉田:祭りでも普段の公民館でも、どんなに小さな子に対してもフラットに受け入れてくれます。一番下の子が、言葉も何もしゃべれない時期でも、ずーっと遊んでくれました。最初は「こんなに小さいから抱っこしてみんなに迷惑かけないように…」なんて思っていたのにいつの間にか、周りに人だかりができていて。気づいたらなじんでいました(笑)。
───恐るべし八尾の子どもたち! 寛容に受け入れ、大胆に頼り合い、お互いを認め合うことを、おわらの練習や遊びを通して身につけているとは!
(名田谷さんの移住のきっかけから、八尾の人々のおわらの周辺事情や子どもたちの育ち方について話の及んだ今回。次回は、吉田さんのお話から、八尾ならではの魅力(や苦労)について語っていただきたいと思います。みなさん、どうもありがとうございました)
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