曳山は命!熱い男・石田一貴さんが語る「越中八尾曳山祭」の魅力
石畳の町・諏訪町で生まれ育った石田さんが最も楽しみにしているのは、5月3日の曳山祭。「曳山は命」と語り、他のあらゆる趣味を凌駕するそうです。そこまで魅かれる理由は何なのか、尋ねてみました。
【石田一貴さんプロフィール】
30代、会社員。諏訪町に生まれ育つ。結婚をきっかけに婦中町(富山市のベッドタウン)に一度引っ越すも、八尾町に帰ってきて子育て中。現在は八尾の別の地域に住みながら諏訪町の一員として祭りに参加している。
【越中八尾曳山祭】
毎年5月3日に行われる「曳山祭」は、江戸時代から受け継がれる八尾の春の祭礼行事。生糸や蚕種、和紙の生産と取引で栄えた八尾商人の繁栄の象徴です。典雅な曳山囃子にあわせて、勇壮な若者たちが煌びやかな6基の山を曳き回します。特に角を勢いよく曲がるさまは圧巻。夜になると数千の灯がともる提灯山車となり、幻想的な風景が立ち上がります。

曳山は命であり生きがい

───八尾の曳山は石田さんにとってどういう存在ですか?
石田:命だよ。生きがい。イッツマイライフ。
1年間、曳山をやるために生きてます。それ以上、上がないが。それより下にバイクや車、釣りとかがあるけど、曳山のためのつなぎで…。曳山のために仕事して飯食って生きて…という感じです。だって1年に1度しかないんだよ!
何が楽しいかと言われると、よくわからんっちゃよくわからんがだけど…曳山はとりあえず…好きなんですよ(笑)
───すごいなあ。どこがそんなに楽しいんでしょうか?
石田:言葉で表現するのは難しいですね。好きなものはなんでも好きだし…。
とはいえ、曳山熱が顕著になってきたのは高校からかな。「梶棒(かじぼう)」に触れるのが高校にあがってからなんですよ。中学校まではずっと綱を引っ張るだけだからちょっと物足りない。
子供のときから好きだったけど、ずっと触りたかった梶棒に触れると、「やっぱりおもしれーわ!」となりました。それから僕は、組み立てるのも好きなんです。部材さえ並べるのを手伝ってくれれば、一から組めますよ。組んでるときはでっかいプラモデルだって思ってます。
曳山そのものが好きなんですよね。だから海老江(射水市)の曳山を見に行ったりもしてるし…。
───曳山祭ではどんな役割を担っているんですか?
石田:今言った、山を組むのと曳くのをやってます。それから一昨年は副警護を担当しました。警護は采配を振って曳山を先導する役割です。車の運転手みたいな感じで、大きいサイズの曳山がどうしたら安全に曲がれるか、わかっている人じゃないと務まらないんだよね。
緊張感があるのは「一山」といって最初に町を廻る山。先頭だから翌年の祭のポスターになるし、見ている人も多いです。角も最初に曲がるから、他の町の人に見られて、「ありゃ曲がらんわ〜」と言われると悔しいしね。一山~六山は順番が決まっていて、毎年順繰りに回しているんですよ。
曳山を組むのも楽しい!

祭りに対する情熱と責任、次につなぎたい気持ち

───曳山とおわらには両方参加されているんですよね?
石田:そうですが、僕は「曳山側の人間」という感じなんです。もちろんおわらにも参加しています。諏訪町は囃子方が少ないので囃子をやっているんですが、やり始めて知ったのが唄より囃子の方が難しいんだそう!
ただ、自分は曳山が好きでみんなに協力してもらっているから、おわらでも協力して行きたいと思っています!基本、全員が祭り好きです。その中で、おわら側と曳山側に自然と別れている感じですね。
───お祭りで、町の人との一体感みたいなものは感じますか?
石田:山に携わる人として、自分が何の担当で何をしないといけないかが各自わかっていて、同じ空気感の中で動いているというところに一体感があると思う。梶警(かじけい)…つまり梶棒の担当は、前と後ろとの息が合わないとうまく回せないしね。
───これから町がこうなってほしい、お祭りをこうしていきたいという希望はありますか?だから本当は町同士で曲が同じなはずなんだけど、微妙に違っていて、笛も三味線もその町にしかないんですよ。諏訪町の笛の本囃子を明確に全部知っているのも、今は1人だけで、僕も一緒に吹いたら吹けるけど…という感じで風前の灯なんです。だから吹ける人が増えてくれたら、本当に嬉しい。昔は女性は参加できなかったんだけど、町によっては女性の笛吹きもいますね。
石田:曳山では、もっと笛を吹いてくれる人が増えれば嬉しいな…。曳山の笛は、おわらと違ってその町ごとに曲が微妙に違うんですよね。「道行(みちゆき)」って言われる曲は、高山から新湊まで通る「ブリ街道」の中で引き継いできた笛の音程で、「しゃしゃりんこ」という曲も結構いろいろな場所で吹かれているもの。だけど微妙に違って、その町だけのものになっているんだよね。
八尾の曳山は最初に上新町が作って、他の町が作るならうちも…という感じで順番に増えていって、うちの諏訪町は5番目に山を作ったんです。曲もそうで、ある町が例えば「本囃子」を4番まで作ったら「負けとれん!」と言って他の町が5番を作ったり。諏訪町は、他の町の練習しているのをこっそり聞いて本囃子1~4番を作って行ったらしいんです。本当は5番まであったらしいんですが、今は4までしかないです。
だから本当は町同士で曲が同じなはずなんだけど、微妙に違っていて、笛も三味線もその町にしかないんですよ。諏訪町の笛の本囃子を明確に全部知っているのも、今は1人だけで、僕も一緒に吹いたら吹けるけど…という感じで風前の灯なんです。だから吹ける人が増えてくれたら、本当に嬉しい。昔は女性は参加できなかったんだけど、町によっては女性の笛吹きもいますね。
───コアな話が出てきました!
石田:曳山が好きな人間が集まると、毎年そういう話になるんね(笑)。
───外部の人でも、参加していいんですか?
石田:もちろん、ちゃんと来てくれるなら!町の人の知り合いで、富山市に住んでいるけど「どうしてもやりたい!」と言って参加してくれていた人が何人もいて。2~3年ちゃんと来てくれたら、次は梶棒に触ってOKとか、ステップアップしてます。他のインタビュー記事にも登場している、名田谷さんの旦那さんは曳山では三味線、おわらでは唄…と積極的に参加してくれたから、その年からすぐに「りゅうちゃん」呼びでしたよ。もちろん年齢的に難しい人もいるとは思いますが、そういう人は見守ってくれていますよね。もうみんなウェルカムです。
すでに満足げな表情を浮かべる、幼い石田さん
───どうもありがとうございました!
山の順番や笛の音色、他の地域とのつながりまで、気にしたことがなかったような曳山の魅力を知ることができました。曳山祭を見るときに思い出してみたいです。次の年にはこれを読んだあなたも曳山に参加しているかも…!
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